【読書感想文】バッタを倒しにアフリカへ
インパクトの強いタイトルで、読まずとも存在だけは知っているという人も多いであろう前野ウルド浩太郎著『バッタを倒しにアフリカへ』をついに読みました。
仕事柄アフリカ環形の書籍はなるべく読もうとしているのですが、なかなか時間が見付けられず積読でした。
本著は昆虫学者の前野氏がアフリカのモーリタニアという国で、農作物を喰い荒らすサバクトビバッタの(研究も兼ねた)防除に奮闘する3年間を追ったドキュメンタリー作品。
バッタにまったく興味もなければ昆虫研究の世界を1ミリも知らない僕でも、グイグイ引き込まれていく笑いあり涙ありの冒険譚でした。
物語としてのおもしろさだけでなく、知見が広がるという面でもおもしろい作品です。
思い通りにならない自然を相手にする昆虫研究の大変さ、限られた時間と資金の中で仮説を立てて検証するという活動の難しさ、日本とモーリタニアのつながり(ODAやタコの話)、モーリタニアという国のことなどなど。
多くの人はこの本に出会わなかったら一生知ることができない世界だったのではないでしょうか。
1,000円で知らない世界のことをこれだけ知ることができて、かつアフリカの砂漠での濃厚な冒険譚が読めるなんて、本当に素晴らしいの一言に尽きる作品でした。
ここからは個人的なメモ。(ネタバレにはならないと思います。)
前野氏があとがきの中で、ないないづくしのオンパレードだったモーリタニア生活を終えて日本に帰国したときにコンビニのおにぎりでさえ有難く感じた、という話をしていますが、僕はこれを読んでイギリスから帰ってきたときの感情を思い出しました。
イギリスといえど、僕が過ごした村もないない尽くしのオンパレードで日本に帰国したときは、モノが溢れる有難みを強く感じました。
いわゆる幸せのハードルが下がってたってやつですね。
しかしそれも時が経つと忘れてしまいました。
前野氏も日本に帰国してから半年後には有難みの感情は薄れていた、と話しているとおり、人は際限なく幸せを追い求めてしまって、いつのまにか当たり前の生活に不満を感じるようになるみたいです。
これは一度実体験があるだけに本当に怖いことだと思っています。
より質もいいもの・より質の高い暮らしを求めて、目の前の有難みや幸せに気付かなくなってしまったら人生楽しくないかなと。
久しぶりにこんな大切なことに気付かせてくれた前野氏と本作に感謝です。
仕事の報酬は
『仕事の報酬は仕事。』
ソニーの創業者である井深大氏が口にしていたとされる、有名な言葉ですね。
いい仕事をすると、もっとおもしろい仕事が出来るようになる、それこそが人生最大の喜びだ、と。
僕はこの言葉は真実を言い表していると思ってます。
仕事の報酬はお金でも地位でもなく、仕事です。少なくとも僕らの業界においては。
ただ、この手の話題について話すとポジショントークになりがちで、例えば生命保険や不動産の営業の人にとっては仕事の報酬は断固として給与なのだろうと想像します。
あくまでも日系消費財メーカーに勤める人間の一意見として聞いてください。
なぜこの言葉を取り上げて記事を書こうと思ったかというと、最近人生経験の一環として始めた転職活動で出会うエージェントや他社の人事と話をする機会があって、そこで自分とは異なる価値観に触れたからです。
転職支援サイトに登録されている方ならおわかりになると思うのですが、中途採用の求人の案内のほとんどは待遇についての条件等が前面に押し出されています。
■株式会社バロック・ワークス
~国家転覆を狙う新進気鋭の秘密結社系スタートアップです~
年収:XXX万円~YYY万円
年間休日:〇〇〇日
残業時間:平均△△時間/月 (労基法遵守してます!)
勤務地:港区
中途採用の方多数在籍、未経験や他業界からの転職でも大丈夫!
福利厚生バッチリでライフワークバランスもしっかり取れます!
有給休暇取得率は~、離職率は~etc.
業務内容は~ (めっちゃ抽象的)
時勢柄、待遇面に主眼を置いて転職活動をしている人たちが多いのだろうとは思いますが、求人案内に仕事の内容をしっかり書いてある会社が少なくて正直驚きました。
さすがにエージェントや当該企業の人事と話をすれば、仕事の内容を深堀りするかと思ったのですが、「あなたのその経験にはもっと高い給料を払ってくれる会社がいますよ!」とか「当社はライフワークバランスを充実させることに力を入れておりまして~」なんて言われてしまって、結局どんな仕事が出来るのか、あるいはどんな仕事を任せてくれるのか不明瞭なことが多かったです。
そこで「待遇面を仕事の報酬として考えているんだなー僕の考えと違うなー」と思ったわけです。
もちろん、給料や福利厚生を含めた待遇面は仕事を続けるうえで無視は出来ません。
かといって、それらが仕事の報酬の一部にはなり得ても、やはり報酬のメインは仕事だと思うのです。
僕は井深氏の言葉そのままに、仕事の報酬は仕事であり、一つの仕事をこなすとより大きくておもしろい仕事を任せられるようになることは喜ばしいことだと考えています。
仕事をこなすと次にさらに大きな仕事を任せられるようになる。より大きな仕事を経験していく過程で人は成長していきます。
この成長する機会を得られるということに勝る報酬を僕は知りません。
そして仕事を任せられるということは、上司や顧客をはじめとした周囲の人間に自分の力が認められて、信頼を得られたということの証です。
他者から認められ信頼されること、これもまた金銭には代えがたい価値があるものではないでしょうか。
僕と同じように昇進や給料が未だに年功序列ベースから脱却出来ていない企業で一生懸命働く同世代の人たちってたくさんいると思うんですが、
そういう人たちには「なんでこんなに頑張っているのに給料が上がらないんだ!」とふてくされずに、より大きな仕事を与えられるか、仕事を通して成長出来ているかという点に着目して仕事をしてみてほしいです。
きっと仕事に前向きに取り組めるはずです。
同じ環境に身を置く者同士、頑張りましょう!
石橋架けられるくらいの川幅なら落ちても泳ぎきれるっしょ?の巻
気付けばTwitterのフォロワー数が700人を超えていました。
3月下旬には400人ぐらいしかいなかったので、1ヵ月に100人ぐらい増えているペースです。
さて、最近フォローしてくださった方々に向けて、簡単に自己紹介をします。
名前:ロンドナー
年齢:社会人6年目
業種:耐久消費財の日系メーカー
職種:海外マーケティング (担当国:プライド・ランド)
ロンドンに2週間滞在していたことがあるのでロンドナー。そうです、かぶれ野郎です。
ちなみにランドナーではありません。
この春で社会人6年目に突入しました。
小学生1年生が6年生になったり。中学1年生が高校3年生になるのと同じです。
それらの時代とこれまでの社会人生活を比べると、もっと色濃い生き方があったのではないかと、少しモヤモヤが残ります。
ただ、小学校よりも中高よりも社会人の最初の5年間の方がモテました。これは間違いない。
業種と職種はあれですね、触れると身バレしそう。
簡単に言うと海外出張という名の冒険を繰り返して、SNSでいいねをもらえそうな写真をひたすら撮りまくるという仕事をしています。
人間性の話をすると、昨日やったSTRENGTHS FINDERでは最上志向でありポジティブ、慎重さは持ち合わせていない、という分析結果が出ました。
慎重さ、ないです笑
石橋叩いて渡ろうとしている人を横目に「あはははは!!」ってダッシュで渡り切ろうというタイプの人間です。
たとえ落ちても泳げばよかろうなのだーーーッ!!の精神です。
ちなみに先日オフでお会いしたフォロワーさんからは
「DMやLINEがすごく礼儀正しかったから、なんか、こう、もうちょっと真面目な感じの人かと・・・」と言われました。
褒め言葉、、、ですねっ!!たぶん!!!!
まぁ、総合するとポジティブで不真面目で慎重さを持ち合わせてないってことです!会社員として失敗する人間の典型だと思ってください!
というか会社員でなくとも普通に人生失敗しそうな臭いがプンプンしますけどね!
そんな僕なので、Twitterでみなさんに有益な情報やおすすめのライフハックを発信することは出来ないと思っています。
たまにプライド・ランドの写真を載せてドヤります。
よろしくお願いします。
短期間で身に付けたものはやっぱり短期間で失う 後編
とあるネットニュースの記事で社内の公用語を英語にした企業が紹介されていた。
記事の中でインタビューに答えていた男性が「僕の初TOEICなんて270点でしたよ。TOEICって990点満点の四択問題だから適当にやっても250点は取れるものなんですね。だから僕の270点というスコアは実際20点みたいなものです笑」と過去のスコアを振り返っていた。
だか待ってほしい。
適当にやっても250点取れる、というのは僕が知ってるTOEICとは少し違う気がする。
だって、僕のスコアは240点だったから。
この計算でいくと-10点だ。
ここまで来ると、むしろ悉く正解を避け続けた当時の僕のマークセンスがすごいと思えてくる。
さて、話はTOEICで-10点を叩き出した春から1年と半年遡る。
自分の英語の力の未熟さに改めて直面した僕は、どうやったら英語が伸ばせるか考えた。
本当に真剣に考えた。
そして行き着いたのは「裏技はないので地道に行こう」というスタンスだった。
間違えた単語、わからなかった熟語、曖昧に覚えてた文法を一つずつ潰していく作戦だ。
英語の問題を解き、間違えた単語、熟語、文法を別途用意していた「改善ノート」にどんどん書き記していった。
そして一日の終わりにそのノートにその日書き込まれた単語たちを暗記するのである。
これはものすごい地道で、非効率的な作業かもしれない。
でも当時の僕は「今夜これを覚えて寝たら、明日の僕は今日の僕より英語が出来るようになってる」と自分に言い聞かせ続けた。
大学合格までの長い道のりを一歩一歩着実に進んでいるんだ、と信じ続けた。
6月からは毎日7時間勉強し、うち3時間を英語に充てた。
夏休みには毎日13時間勉強して7時間を英語に充てた。
問題を解いて解いて、間違った部分を暗記して、また問題を解いて解いて暗記して暗記して、、、の毎日だった。
6月から2月の受験本番まで勉強時間を確保できなかった日は数日しかない。
オープンキャンパスと外部模試の日だけだった。
夏祭りも高校のクラスの集まりも、予備校で気になっていた有名女子高の女子からのまさかのデートの誘いもすべて断って勉強した。
一緒に遊んでいた友達は「お前勉強すんのかよ。つまんねーやつだな」と言って誘ってくれなくなった。僕は青春するチャンスを捨てただけでなく、友達さえも失った。
ここまで来るとすべてを捨てて英語と戦っていたと言っても過言ではない。
捨ててきたものの分だけ取り返さないと自分で自分に納得出来ない!
そんな気持ちだった。
英語は上記の勉強方法だけでなく、単語帳を使った毎日の暗記も継続して行った。
ガムを噛みながらだと脳が刺激されて記憶しやすいだとか、歩きながら声に出して読むと暗記しやすいだとか言われて、それもすべてやった。
夜寝る前に部屋をぐるぐる歩き回りながら、発音記号読めないなりに下手くそな発音で発声していたら、親がついに僕の気が狂ったのだと思い、精神科の予約を取ろうとしていたこともあった。なんともひどい話である。
※名前を書けば入れる高校に入学して、そこの勉強すらもついていけなかった息子が急に一心不乱に勉強し始めたら、僕が親でも少し心配になる。
改善ノートの数が二桁に近付いた頃、受験を迎えた。
センター英語は結局本番でも7割に届かなかった。
42点から100点アップを目指していたのだが努力不足だった。
それでも私大受験は5校受けて4校合格した。
本番では英語がスラスラ読めたのだ。
あまりにスラスラ読めたので、何か重大な勘違いをしてるんじゃないかと何度も読み直したことを今でも鮮明に覚えている。
最終的に入学を決めた大学はオープンキャンパスにも行っておらず、雰囲気もわからないところだったがネームバリューが決め手だった。
受験後、すべてから解放された僕は急に英語熱が冷めた。
受験後も継続して英語の勉強を続けよう、という気持ちは少しはあったが、いざ終わってみると英語のテキストや参考書たちを机の奥深くに追いやってしまったのだ。
受験から2ヶ月後、英語のクラス分けをするためのTOEICテストがあった。
そこで僕は強烈なデジャヴを体験する。
やばい。全然わからない。なにこれやばい。
前にも一度どこかで見た光景だった。
めちゃくちゃ英語を勉強して、少し間を置いてから挑んだテストで大ゴケするやつ。
またもや英語の知識は砂のように僕の手のひらをサラサラとすり抜け、、、いや、むしろ僕の脳が英語を覚えることを拒否していたというのが正解かもしれない。
僕は本質的に英語が好きではなかったのだ。
このとき、そう理解した。
我ながらすごい開き直りだ。
このときのスコアは280点。
僕は見事にスポーツ推薦入学のマッチョと内部進学のウェイ系しかいないクラスに割り振られた。
そのクラスに一般入試で入学していたのは僕だけだった。
僕はこのとき決めた。
あれだけ勉強して身に付かなかったのだから、もう英語は捨てよう。
圧倒的な才能不足だ。
僕は英語を勉強することを止めた。
翌年のTOEICのスコアは240点だった。
僕は悔しさも恥ずかしさも何も感じなくなっていた。
短期間で身に付けたものはやっぱり短期間で失う 前編
人気バスケ漫画『スラムダンク』の主人公・桜木花道は素人ながらにその卓越した身体能力と常人離れした努力によって、短期間でバスケットボール初心者から全国大会でも通用する選手に成長した。
もちろんこれは漫画の世界の話なのであって、実際にバスケットボールを始めて数ヶ月であそこまで化ける選手はいないはずだ。
でも英語はバスケットボールと違う。
英語は短期間で化けることが出来る。
僕がそうだった。
英語についてはまるで僕は桜木花道だった。
そんな僕のサクセスストーリーを二回に分けて書きたいと思う。
本格的に英語に取り組み始めたのが2008年の2月。
予備校で英語克服します!浪人しません!宣言をしたその帰り道、本屋でターゲット1500という英単語帳を購入。
そこに掲載されている英単語を片っ端から暗記していった。
当時の僕の考えはこうだ。
英語がわからないのはそもそも単語がわからないからだ。文法も重要だけどそれは予備校の授業で習いつつ、自力で語彙力を増やしていこう。
当たり前のことだが、そもそも単語の意味を知らなければライティングもリーディングもリスニングも出来ないのである。
だからとにかく英単語を詰め込んだ。夜寝る前に単語を50個暗記して、朝起きてからちゃんと記憶しているか確認をした。
学校の昼休みや予備校の休憩時間には前日や前々日に暗記した単語を覚えてるかチェックした。
赤シートで隠すだけでは簡単に覚えられないのでノートに書きまくった。目で、手で、英単語の形と意味をインプットしていった。
桜木花道の2万本シュート練習よろしく、朝も夜も来る日も来る日も英単語暗記に明け暮れた僕は4月に入った頃には英単語帳を一周していた。
1500個もの英単語を2ヶ月足らずで(形的には)暗記したのである。
ただ、みなさんもおわかりだと思うが英単語帳を一周したからといって、本当にそのすべての単語の意味をペラペラと口に出来るかと言えばまったく違うのである。
しかし、それでも僕はあんなに英語が出来なかった自分が英単語帳を一周させたことが嬉しかった。自分で自分が誇らしかった。楽しい気分になった。
だから遊びに出掛けるようになった。
英単語帳はもうクリアした。
英文法も英単語暗記に比べれば覚える量は少ないので、もう英語を克服したも同然だ。
勝った!大学受験編 完!
こんな感じだった。
4月中旬から予備校に行かなくなり、毎日深夜まで友達と遊び歩き、ついには高校にも行かなくなった。
英単語暗記で溜まっていたストレスの反動だったのだろう。
本当にアホみたいに遊んだ。
「大学ゥ?東洋、日大、駒大どこでも行けるわw英語マスターしたからなw」と完全に浮かれモードだった。
5月も下旬に差し掛かった頃、予備校の先生から過去のセンター試験を解いて力試ししてみないか?と誘われた。
センター試験の問題はそれまで見たこともなかった。
鍛え上げた英語力を見せつけるときが来たな、と意気揚々と予備校に向かったのを覚えてる。
一応、身に付けた単語力を鈍らせないようにと英単語帳を眺める習慣はつけていたのだ。
だからこのテストもいけるとタカをくくっていた。
結果は42点。
「狙って取れる点じゃないぞ。才能あるな!」と採点後に先生は僕に明るく声を掛けてくれた。フォローのつもりだったのだろうが、まったくフォローになってなかった。
僕は絶望した。
暗記したはずの単語が全然浮かんでこなかった。手のひらから砂がこぼれ落ちるように、僕の脳から英単語がサラサラとこぼれ落ちてしまっていたらしい。
短期間で身に付けたものは見事に短期間で失ってしまうのである。
42点という大失態の原因は英単語だけではない。英文法もまともに習っていなかったので、ほとんどの問題が解けなくて当たり前だった。
いや、それでも42点て。選択式の200点満点のテストで42点て。この点数はひどい。日東駒専(関東中堅私大群)に受かる人はセンターで120点も取れるっていうじゃないか。全然足りない。このままじゃ絶対に大学に受からない。もっと真剣にならないと!
大学受験のレベルの高さ、現在の自分の位置、合格までの距離、受験本番までの残り日数、すべてを真剣に捉えたのは、気象庁から梅雨入りが発表された頃だった。
TOEIC 200点台から海外マーケティング業務へ
高校2年時の担任「お前みたいな頭の悪いやつはなぁ、自衛隊行くか専門学校で手に職つけるしかないんだよ。英語出来ないのに大学行けると思うなよ!」
今振り返ってみてもひどい言われようだと思う。
自衛隊や専門の人のことを遠回しに悪く言ってるし、そもそも自分のクラスの生徒に向かって「頭悪い」て、担任のお前が言うことか!と当時言ってやればよかった。
たしかあのときは「別に高校なんて辞めるつもりなんで。大学とか興味ないんで。」なんて答えた。
校内で問題を起こしていたうえに、好きな娘にもフラれてしまって学校をサボりがちになっていた頃だ。半分本気で高校を辞める気でいた。
色々とうまくいかなかったこともそうだが、学校生活に嫌気が差していた根本的な理由は勉強にまったくついていけていなかったところにある。
高校2年時の定期テストの最高点は50点を切っていて、英語と数学は0点だった。
一問目から途中式も書けずにギブアップして数学0点になった人間は僕の他にもいたが、四択問題をいくつか含んでいた英語のテストで0点だったのは学年で僕だけだった。選択肢が一つもかすらないなんて、英語の神様に見放されていた。
ダブル0点が響いたのか、そのときの定期テストの成績は学年最下位だった。
そして担任に呼び出されて冒頭の暴言を吐かれたわけである。
まぁ、何を隠そう僕は本当に絶望的に英語が出来なかった。
どのくらい出来なかったかと言うと、それはもう説明は難しいが、あえて言葉にするなら「小学生レベル」。高校2年で小学生レベル。
とにかく普通に高校生活を送ってきた人には到底信じられないレベルで英語が出来なかった。
担任に暴言を吐かれたあと、紆余曲折あって大学進学を目指すことにしたのが、受験生まであと少しという高校2年の2月。
自分で自分の英語力の低さに気付いたのはそのときだった。
それまでテストで0点を取っても、「テストで0点取ってやったぜ!」とmixiの日記に書いて、友達から「さすが!笑」というようなコメントをもらって満足しているばかりで、現実をまったく直視していなかった。
高校2年の2月、予備校の入学テストを解いていたときに、僕はアルファベットの小文字を理解していないことに気付いた。bとdの区別がつかなかったのだ。
それまでの学校のテストは選択肢問題を適当にやって、残りはカ○ニ○グで乗り切れた。
小文字や単語を覚える必要はまったくなかった。
これには自分でも衝撃的だった。
小文字もわからないのに大学受験はさすがにねーだろ、というか自衛隊だろうが専門だろうが小文字も書けなかったらどこにも入れねーだろ、と。
もちろんアップルやハウスなどの基礎単語すらも書けず、予備校の先生が腰を抜かしながら「に、二ヶ年計画でいこう、な?」なんて浪人前提の受験プランを持ち出したぐらいだ。
しかし、急に劣等感と焦燥感を感じた僕は、予備校の先生に「明日から死ぬ気で英語やります!浪人はしません!」と宣言した。完全に勢い任せである。
そうして2008年2月、今に続く英語との長い長い戦いが始まった。
【海外出張準備】 どんな服を持っていけばいいのか
早速ですが、皆さんの中には出発前夜に焦ってパッキングを始めて、あーっもー!めんどくさい!となってしまう方はいませんか?
いませんね、僕だけですね。
自分なりに考えたのですが、パッキングがめんどくさいと思うのは、何を持っていけばいいのか、自分の中でマニュアル化されておらず、毎回場当たり的な準備をするからだと思うんですよ。
なので、今後は数回に渡って個人的持ち物リストを作っていきたいと思います。
とりあえず今回は衣服編。
・スーツケース
スーツケースの大きさの目安は10リットル=1泊。
僕の海外出張は1回1ヵ月ほどなので、いつも使っているのは90リットルのもの。
学生時代から使っているノーブランドのものだけど、北米エアラインの雑な扱いに今のところ耐えています。
出国時点でスーツケースをパンパンにしていると、現地でお土産を買ったときなどに苦労するので、余裕をもったパッキングをおすすめします。目安より多少大きめなスーツケースだとそういう問題も起きにくいです。
・仕事関係の着替え
ジャケットはスーツケースにしまわず、なるべく手持ち。
その他衣類は今まで畳んでビニール袋に入れていましたが、今回から無印の仕分けケースを使うことにしてみました。
早速パッキングをしたのですが、きっちりまとまったうえにブロック状の形状をしているので、スーツケースの中でかさばらなさそうです。実戦が楽しみ。
海外出張中の洗濯はホテルに頼まないといけないのですが、これが高い!しかも自腹!
そういう費用もコミコミでの日当なんでしょうが、僕は日当を洗濯に使いたくないので毎晩洗面所でシャツからパンツからゴシゴシ洗っています。
僕と同じ境遇の男性の方、インナーシャツやパンツはユニクロのエアリズムが最高です。すーぐ乾きます。夜に洗って風呂場に干して換気扇回しておけば朝には着られます。
一方で厚手の靴下はたとえくるぶしソックスでもおすすめできません。洗ってもすぐ乾かないからです。生乾きの靴下はなかなかやばいのでご注意を。
いらっしゃらないとは思いますが、僕と同じ様に熱帯のジャングルを歩く方やアマゾンに立ち入る方は上下アンダーアーマーを装備して、その上から速乾性の高いヒラヒラのシャツとパンツを履くといいです。急な雨に降られてもすぐ乾きますし、全身アーマーに覆われていれば、ヒルやアマゾンの謎の虫たちの攻撃をある程度防ぐことができます。
・オフのときの着替え
精神衛生上、ホテルの部屋では日本の自分の家にいるときと同じ格好をしています。
寝るときは別にロングシャツを用意しますが。(理由は後述)
1ヵ月の出張だったら上下で2セット。もちろんは材質は洗ってもすぐ乾く素材です。
ホテルの朝食を食べに行くときなど、部屋を出るときのためにパンツにポケットはマスト。朝食会場で上司や先輩とバッタリ!なんてこともあるので、キャラものや幼いデザインのものは控えたほうがいいです。
・ビーチサンダル
ホテルでは基本的にビーチサンダルです。スニーカーはかさばるし出張先でランニングをすることもないので持っていきません。ビーチサンダルがあるとホテル内のプールに行くときも便利です。
・タオル
僕はこのタオルを枕カバーのように枕に敷いて使います。潔癖症ではないですが、出張先が出張先なだけに中には除菌されていなさそうなホテルもあり、そういうところにはノミ・ダニがたくさんいるからです。ベストは身体全体を守ることですが、それはさすがに難しいのでタオルで顔と頭を守り、ロングTシャツを着て極力やつらとの接触を避けます。
仕事関係の着替えをどのくらい持っていくか、ですが、
僕はシャツを7着とインナーシャツを同じく7着、パンツは3本持っていきます。
下着のパンツも7着で、それらを延々洗濯しています。
次回は小物類を取り上げます。