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平々凡々な20代サラリーマンがお届けする平々凡々なサラリーマンライフ

TOEIC 200点台から海外マーケティング業務へ

 

高校2年時の担任「お前みたいな頭の悪いやつはなぁ、自衛隊行くか専門学校で手に職つけるしかないんだよ。英語出来ないのに大学行けると思うなよ!」

 

今振り返ってみてもひどい言われようだと思う。

自衛隊や専門の人のことを遠回しに悪く言ってるし、そもそも自分のクラスの生徒に向かって「頭悪い」て、担任のお前が言うことか!と当時言ってやればよかった。

たしかあのときは「別に高校なんて辞めるつもりなんで。大学とか興味ないんで。」なんて答えた。

校内で問題を起こしていたうえに、好きな娘にもフラれてしまって学校をサボりがちになっていた頃だ。半分本気で高校を辞める気でいた。

色々とうまくいかなかったこともそうだが、学校生活に嫌気が差していた根本的な理由は勉強にまったくついていけていなかったところにある。

高校2年時の定期テストの最高点は50点を切っていて、英語と数学は0点だった。

一問目から途中式も書けずにギブアップして数学0点になった人間は僕の他にもいたが、四択問題をいくつか含んでいた英語のテストで0点だったのは学年で僕だけだった。選択肢が一つもかすらないなんて、英語の神様に見放されていた。

ダブル0点が響いたのか、そのときの定期テストの成績は学年最下位だった。

そして担任に呼び出されて冒頭の暴言を吐かれたわけである。

 

 

 

まぁ、何を隠そう僕は本当に絶望的に英語が出来なかった。

どのくらい出来なかったかと言うと、それはもう説明は難しいが、あえて言葉にするなら「小学生レベル」。高校2年で小学生レベル。

 

とにかく普通に高校生活を送ってきた人には到底信じられないレベルで英語が出来なかった。

 

 

 

担任に暴言を吐かれたあと、紆余曲折あって大学進学を目指すことにしたのが、受験生まであと少しという高校2年の2月。

自分で自分の英語力の低さに気付いたのはそのときだった。

それまでテストで0点を取っても、「テストで0点取ってやったぜ!」とmixiの日記に書いて、友達から「さすが!笑」というようなコメントをもらって満足しているばかりで、現実をまったく直視していなかった。

 

高校2年の2月、予備校の入学テストを解いていたときに、僕はアルファベットの小文字を理解していないことに気付いた。bとdの区別がつかなかったのだ。

それまでの学校のテストは選択肢問題を適当にやって、残りはカ○ニ○グで乗り切れた。

小文字や単語を覚える必要はまったくなかった。

これには自分でも衝撃的だった。

小文字もわからないのに大学受験はさすがにねーだろ、というか自衛隊だろうが専門だろうが小文字も書けなかったらどこにも入れねーだろ、と。

 

もちろんアップルやハウスなどの基礎単語すらも書けず、予備校の先生が腰を抜かしながら「に、二ヶ年計画でいこう、な?」なんて浪人前提の受験プランを持ち出したぐらいだ。

 

 

しかし、急に劣等感と焦燥感を感じた僕は、予備校の先生に「明日から死ぬ気で英語やります!浪人はしません!」と宣言した。完全に勢い任せである。

 

 

 

そうして2008年2月、今に続く英語との長い長い戦いが始まった。