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平々凡々な20代サラリーマンがお届けする平々凡々なサラリーマンライフ

短期間で身に付けたものはやっぱり短期間で失う 後編

とあるネットニュースの記事で社内の公用語を英語にした企業が紹介されていた。
記事の中でインタビューに答えていた男性が「僕の初TOEICなんて270点でしたよ。TOEICって990点満点の四択問題だから適当にやっても250点は取れるものなんですね。だから僕の270点というスコアは実際20点みたいなものです笑」と過去のスコアを振り返っていた。

だか待ってほしい。

適当にやっても250点取れる、というのは僕が知ってるTOEICとは少し違う気がする。



だって、僕のスコアは240点だったから。
この計算でいくと-10点だ。
ここまで来ると、むしろ悉く正解を避け続けた当時の僕のマークセンスがすごいと思えてくる。



さて、話はTOEICで-10点を叩き出した春から1年と半年遡る。



自分の英語の力の未熟さに改めて直面した僕は、どうやったら英語が伸ばせるか考えた。
本当に真剣に考えた。

そして行き着いたのは「裏技はないので地道に行こう」というスタンスだった。
間違えた単語、わからなかった熟語、曖昧に覚えてた文法を一つずつ潰していく作戦だ。

英語の問題を解き、間違えた単語、熟語、文法を別途用意していた「改善ノート」にどんどん書き記していった。
そして一日の終わりにそのノートにその日書き込まれた単語たちを暗記するのである。

これはものすごい地道で、非効率的な作業かもしれない。
でも当時の僕は「今夜これを覚えて寝たら、明日の僕は今日の僕より英語が出来るようになってる」と自分に言い聞かせ続けた。
大学合格までの長い道のりを一歩一歩着実に進んでいるんだ、と信じ続けた。

6月からは毎日7時間勉強し、うち3時間を英語に充てた。
夏休みには毎日13時間勉強して7時間を英語に充てた。
問題を解いて解いて、間違った部分を暗記して、また問題を解いて解いて暗記して暗記して、、、の毎日だった。

6月から2月の受験本番まで勉強時間を確保できなかった日は数日しかない。
オープンキャンパスと外部模試の日だけだった。
夏祭りも高校のクラスの集まりも、予備校で気になっていた有名女子高の女子からのまさかのデートの誘いもすべて断って勉強した。
一緒に遊んでいた友達は「お前勉強すんのかよ。つまんねーやつだな」と言って誘ってくれなくなった。僕は青春するチャンスを捨てただけでなく、友達さえも失った。

ここまで来るとすべてを捨てて英語と戦っていたと言っても過言ではない。
捨ててきたものの分だけ取り返さないと自分で自分に納得出来ない!
そんな気持ちだった。





英語は上記の勉強方法だけでなく、単語帳を使った毎日の暗記も継続して行った。
ガムを噛みながらだと脳が刺激されて記憶しやすいだとか、歩きながら声に出して読むと暗記しやすいだとか言われて、それもすべてやった。
夜寝る前に部屋をぐるぐる歩き回りながら、発音記号読めないなりに下手くそな発音で発声していたら、親がついに僕の気が狂ったのだと思い、精神科の予約を取ろうとしていたこともあった。なんともひどい話である。

※名前を書けば入れる高校に入学して、そこの勉強すらもついていけなかった息子が急に一心不乱に勉強し始めたら、僕が親でも少し心配になる。





改善ノートの数が二桁に近付いた頃、受験を迎えた。

センター英語は結局本番でも7割に届かなかった。
42点から100点アップを目指していたのだが努力不足だった。

それでも私大受験は5校受けて4校合格した。
本番では英語がスラスラ読めたのだ。
あまりにスラスラ読めたので、何か重大な勘違いをしてるんじゃないかと何度も読み直したことを今でも鮮明に覚えている。



最終的に入学を決めた大学はオープンキャンパスにも行っておらず、雰囲気もわからないところだったがネームバリューが決め手だった。

受験後、すべてから解放された僕は急に英語熱が冷めた。
受験後も継続して英語の勉強を続けよう、という気持ちは少しはあったが、いざ終わってみると英語のテキストや参考書たちを机の奥深くに追いやってしまったのだ。



受験から2ヶ月後、英語のクラス分けをするためのTOEICテストがあった。
そこで僕は強烈なデジャヴを体験する。



やばい。全然わからない。なにこれやばい。



前にも一度どこかで見た光景だった。
めちゃくちゃ英語を勉強して、少し間を置いてから挑んだテストで大ゴケするやつ。
またもや英語の知識は砂のように僕の手のひらをサラサラとすり抜け、、、いや、むしろ僕の脳が英語を覚えることを拒否していたというのが正解かもしれない。
僕は本質的に英語が好きではなかったのだ。
このとき、そう理解した。
我ながらすごい開き直りだ。

このときのスコアは280点。
僕は見事にスポーツ推薦入学のマッチョと内部進学のウェイ系しかいないクラスに割り振られた。
そのクラスに一般入試で入学していたのは僕だけだった。

僕はこのとき決めた。

あれだけ勉強して身に付かなかったのだから、もう英語は捨てよう。
圧倒的な才能不足だ。

僕は英語を勉強することを止めた。



翌年のTOEICのスコアは240点だった。
僕は悔しさも恥ずかしさも何も感じなくなっていた。